大会開催年優勝校(都道府県)話題
第96回2014年
(平成26)
大阪桐蔭(大阪)大阪桐蔭が、第94回大会以来、2年ぶり4回目の優勝。春夏通算では5度目の優勝で、横浜(神奈川)と並ぶ5位に浮上した。
第95回2013年
(平成25)
前橋育英(群馬)前橋育英が初出場で初優勝。エース高橋を中心とした堅い守りで1999年の桐生第一以来、県勢2度目の優勝を勝ち取った。
第94回2012年
(平成24)
大阪桐蔭(大阪)大阪桐蔭が光星学院(青森)を降し、3回目の優勝。エース藤波を擁し、史上7校目の春夏連覇。
第93回2011年
(平成23)
日大三(東京)日大三が6試合すべて2桁安打など打線が好調で2度目の優勝。東日本大震災復 興支援大会と位置づけられ、東北勢も健闘した。
第92回2010年
(平成22)
興南(沖縄)興南が沖縄県勢として初優勝。史上6校目の春夏連覇も飾った。主戦・島袋を中心に投打とも他校を圧倒した。
第91回2009年
(平成21)
中京大中京(愛知)中京大中京が7度目の優勝で優勝回数最多記録を達成。新潟県勢で初めて決勝進出した日本文理が、九回5点を入れる猛攻をみせたが一歩及ばなかった。
第90回2008年
(平成20)
大阪桐蔭(大阪)記念大会で55校が出場し、北京五輪の影響で史上最も早い8月2日に開幕した。決勝で大阪桐蔭は史上最多タイの17得点で17-0と圧勝した。
第89回2007年
(平成19)
佐賀北(佐賀)私立有力校が野球特待生問題で揺れる中、公立校の佐賀北が優勝。がばい旋風と呼ばれた。
第88回2006年
(平成18)
早稲田実(東京)早稲田実の斎藤と3連覇を狙う駒大苫小牧の田中の投げ合いで決勝は引き分け再試合に。
第87回2005年
(平成17)
駒大苫小牧(北海道)駒大苫小牧が戦後初の連覇を達成。しかし、大会後、部長が部員に暴力をふるった事件が発覚する。
第86回2004年
(平成16)
駒大苫小牧(北海道)駒大苫小牧は北海道の高校として初優勝。練習時間がとれない冬も雪上ノックなど独特の練習法で鍛えた。チーム打率4割4分8厘は史上最高。
第85回2003年
(平成15)
常総学院(茨城)常総学院の木内監督は大会後の勇退を表明しており、常総学院の初優勝で花道を飾った。
第84回2002年
(平成14)
明徳義塾(高知)明徳義塾は春夏合わせて19回目の甲子園で初優勝。
第83回2001年
(平成13)
日大三(東京)日大三は前年の智弁和歌山を上回るチーム打率4割2分7厘を記録した。
第82回2000年
(平成12)
智弁和歌山(和歌山)智弁和歌山は11本塁打、100安打と大会記録を更新。チーム打率も4割1分3厘で史上最強の打線と呼ばれた。
第81回1999年
(平成11)
桐生第一(群馬)決勝で桐生第一が14-1の大差で岡山理大付を破る。
第80回1998年
(平成10)
横浜(神奈川)横浜・松坂が決勝の京都成章戦でノーヒット・ノーラン。準々決勝のPL学園戦は延長十七回を投げた。青森大会で122-0の大差記録。
第79回1997年
(平成9)
智弁和歌山(和歌山)開会式の司会者を地元高校生が担当する。
第78回1996年
(平成8)
松山商(愛媛)女子マネジャーのベンチ入りが認められる。地方大会の参加校数が前年より9校少ない4089校と戦後初めて減少。
第77回1995年
(平成7)
帝京(東京)柳川の責任教師、高木教諭が女性として初めて甲子園のベンチ入り。阪神大震災の影響で選手は電車で球場入り。
第76回1994年
(平成6)
佐賀商(佐賀)佐賀商は決勝で同点の九回、主将・西原の満塁本塁打で試合を決めた。決勝での満塁本塁打は史上初。
第75回1993年
(平成5)
育英(兵庫)鹿児島商工は2回戦を雨天コールドゲームで勝った後、3回戦は四回まで4ー0でリードしたが雨でノーゲーム。次の試合で負けた。
第74回1992年
(平成4)
西日本短大付(福岡)星稜・松井が明徳義塾戦で5打席すべて敬遠。試合は明徳が勝った。ラッキーゾーンを撤去。
第73回1991年
(平成3)
大阪桐蔭(大阪)愛知大会決勝で、愛工大名電が敗れ、鈴木は夏の甲子園は出場できなかった。
第72回1990年
(平成2)
天理(奈良)沖縄水産が沖縄勢として初めて決勝に進出するも、0-1で天理に敗れる。
第71回1989年
(平成元)
帝京(東京)決勝で帝京は延長十回の末、仙台育英を破る。
第70回1988年
(昭和63)
広島商(広島)1回戦の滝川二ー高田が戦後初めて雨天コールド試合となる。
第69回1987年
(昭和62)
PL学園(大阪)PL学園が春夏連覇。
第68回1986年
(昭和61)
天理(奈良)松山商が1イニング11連続安打の記録を作る。
第67回1985年
(昭和60)
PL学園(大阪)PL学園が2回戦、東海大山形を29-7の大差で破る。1試合最多得点、毎回得点などを記録する。
第66回1984年
(昭和59)
取手二(茨城)大会期間中の14日間、すべての日に本塁打が記録される。
第65回1983年
(昭和58)
PL学園(大阪)桑田(元巨人)、清原(元西武)のKKコンビの活躍でPL学園が初優勝。
第64回1982年
(昭和57)
池田(徳島)やまびこ打線の愛称の池田高校打線が爆発。初優勝。蔦監督の上半身を鍛えるトレーニングはその後に影響を与えた。
第63回1981年
(昭和56)
報徳学園(兵庫)名古屋電気工の工藤がノーヒット・ノーランを記録。
第62回1980年
(昭和55)
横浜(神奈川)決勝で敗れた早稲田実の荒木大輔投手に人気が集まる。
第61回1979年
(昭和54)
箕島(和歌山)箕島が春夏連覇。3回戦の星稜戦は延長十八回サヨナラ勝ちの熱戦だった。
第60回1978年
(昭和53)
PL学園(大阪)全都道府県から1校(東京、北海道は2校)出場するようになる。
第59回1977年
(昭和52)
東洋大姫路(兵庫)東洋大姫路が決勝で延長十回の末、東邦を破る。決勝でのサヨナラ本塁打は史上初。
第58回1976年
(昭和51)
桜美林(東京)東海大相模の原貢監督、辰徳選手の親子出場が注目される。
第57回1975年
(昭和50)
習志野(千葉)浜松商・高林が史上初のサヨナラ本塁打。
第56回1974年
(昭和49)
銚子商(千葉)金属バットの使用が認められる。これ以降、本塁打の数などが増える。
第55回1973年
(昭和48)
広島商(広島)作新学院・江川(元巨人)栃木大会で75奪三振の記録で話題に。甲子園では2回戦敗退。
第54回1972年
(昭和47)
津久見(大分)沖縄が本土に復帰し、名護の平安山主将が選手宣誓。
第53回1971年
(昭和46)
桐蔭学園(神奈川)決勝は桐蔭学園-磐城と、初の東日本勢の対決となる。
第52回1970年
(昭和45)
東海大相模(神奈川)東海大相模はスクイズなしで優勝する。
第51回1969年
(昭和44)
松山商(愛媛)決勝の松山商-三沢が延長十八回引き分け再試合に。敗れた三沢の太田投手に人気が集まる。
第50回1968年
(昭和43)
興国(大阪)記念大会で、入場行進の際、歴代優勝校の校旗も行進する。市川昆監督が記念映画「青春」を制作。
第49回1967年
(昭和42)
習志野(千葉)1回戦の大宮-報徳学園で、報徳が本盗でサヨナラの珍しい記録。
第48回1966年
(昭和41)
中京商(愛知)中京商は春夏連覇。夏の大会試合数が通算1000を突破。
第47回1965年
(昭和40)
三池工(福岡)工業高校として初めての優勝。
第46回1964年
(昭和39)
高知(高知)選手はすべて戦後生まれになる。
第45回1963年
(昭和38)
明星(大阪)沖縄代表・首里が沖縄県勢として初勝利。
第44回1962年
(昭和37)
作新学院(栃木)作新学院、初の春夏連続優勝。
第43回1961年
(昭和36)
浪商(大阪)尾崎が柴田に最後の大会で勝つ。銚子商・柴が大会初のサヨナラ本塁打。
第42回1960年
(昭和35)
法政二(神奈川)法政二・柴田(元巨人)と浪商・尾崎(元東映)が2回戦で投げ合う。翌年のセンバツ、夏と全部で3度投げ合うエース対決だった。
第41回1959年
(昭和34)
西条(愛媛)北海道を南北2つに分ける。
第40回1958年
(昭和33)
柳井(山口)準々決勝の徳島商ー魚津戦は延長十八回で初の引き分け再試合に。徳島商のエース板東は6試合で83奪三振の最多記録。
第39回1957年
(昭和32)
広島商(広島)早稲田実・王投手が2回戦の寝屋川戦でノーヒット・ノーランを記録。
第38回1956年
(昭和31)
平安(京都)大会初日、伊那北ー静岡で初のナイターが行われる。
第37回1955年
(昭和30)
四日市(三重)大会後、選抜チームがハワイ遠征を行う。
第36回1954年
(昭和29)
中京商(愛知)高鍋が宮崎県の学校として初めて甲子園出場。これで全都道府県の学校が出場したことになる。大会後、優勝旗が2カ月以上行方不明に。
第35回1953年
(昭和28)
松山商(愛媛)初めてテレビ放送が行われる。
第34回1952年
(昭和27)
芦屋(兵庫)石川が沖縄県の学校として戦後初めて予選参加も東九州大会で敗退。ユ二ホ-ムに背番号をつけるようになる。
第33回1951年
(昭和26)
平安(京都)戦時中無くなった内野スタンドの大屋根復活。
第32回1950年
(昭和25)
松山東(愛媛)決勝は鳴門-松山東の初の四国対決に。
第31回1949年
(昭和24)
湘南(神奈川)ラッキーゾーン設置。開会式で地元・西宮高校の女子生徒がプラカードを持つようになる。平安・杉山が初のサイクル安打。
第30回1948年
(昭和23)
小倉(福岡)学制改革で新制高校設置。全国高等学校野球選手権大会に。小倉・福島が5連続完封で連覇。公募で「栄冠は君に輝く」が大会歌に制定
第29回1947年
(昭和22)
小倉中(福岡)甲子園に戻る。予選参加校が1000校を突破。関門海峡を越え、初めて九州の学校が優勝。
第28回1946年
(昭和21)
浪華商(大阪)甲子園が米軍に接収されたため、西宮球場で再開。朝鮮、満州、台湾の代表がなくなり19校が出場。
第27回1941年
(昭和16)
戦争で中止
第26回1940年
(昭和15)
海草中(和歌山)戦時体制となり、全日本中等学校体育競技総力大会の一部門として開催。海草中が連覇。
第25回1939年
(昭和14)
海草中(和歌山)海草中の嶋投手が5試合すべてを完封する記録。準決勝と決勝は連続ノーヒット・ノーランだった。
第24回1938年
(昭和13)
平安中(京都)決勝の平安中-岐阜商戦で平安中がサヨナラ勝ち。
第23回1937年
(昭和12)
中京商(愛知)中京商・野口(元阪急)が熊本工・川上(元巨人監督)に投げ勝ち、4度目の優勝。
第22回1936年
(昭和11)
岐阜商(岐阜)外野スタンドが改装され、現在のスリバチ状になる。
第21回1935年
(昭和10)
松山商(愛媛)中学生が入場式のブラスバンドを担当。
第20回1934年
(昭和9)
呉港中(広島)野球乃塔が甲子園に建てられるも、戦時中撤去。藤村富美男(元阪神監督)の活躍で呉港中が優勝。
第19回1933年
(昭和8)
中京商(愛知)準決勝の中京商-明石中で延長25回4時間55分の熱戦の末、中京商がサヨナラ勝ち。中京商は3連覇も果たす。
第18回1932年
(昭和7)
中京商(愛知)中京商が松山商に延長11回サヨナラ勝ちで連覇達成。
第17回1931年
(昭和6)
中京商(愛知)中京商、初出場で優勝。
第16回1930年
(昭和5)
広島商(広島)予選参加500校を越える。広島商が連覇。
第15回1929年
(昭和4)
広島商(広島)アルプススタンドが完成。
第14回1928年
(昭和3)
松本商(長野)代表校は補欠を含めて出場選手を14人以内にすることが決まる。
第13回1927年
(昭和2)
高松商(香川)ラジオの中継放送始まる。早稲田実が初の三重殺に成功。
第12回1926年
(大正15)
静岡中(静岡)応援団が禁止される。大連商が現在の日本国外の学校としては初めて決勝進出。
第11回1925年
(大正14)
高松商(香川)初めて試合経過をラジオで放送。
第10回1924年
(大正13)
広島商(広島)会場を阪神甲子園球場に移す。3日目で早くも満員に。静岡中・田中が初の満塁本塁打。
第9回1923年
(大正12)
甲陽中(兵庫)台湾、東京の代表校が加わり19代表に。
第8回1922年
(大正11)
和歌山中(和歌山)和歌山中が決勝の8回に4点差を逆転し、大会初の連覇。
第7回1921年
(大正10)
和歌山中(和歌山)満州(中国東北部)、朝鮮からも代表校が加わり17代表に。和歌山中が4試合で75点の大会記録。
第6回1920年
(大正9)
関西学院中(兵庫)北海道代表が加わり15代表に。
第5回1919年
(大正8)
神戸一中(兵庫)全国14代表が参加。敗者復活戦を廃止。
第4回1918年
(大正7)
米騒動で中止予選は行われたが大会は中止に。
第3回1917年
(大正6)
愛知一中(愛知)会場を兵庫県の鳴尾球場に移す。五輪を参考に初の入場式。
第2回1916年
(大正5)
慶応普通部(東京)全国12代表が参加。市岡中・松本が大会初のノーヒット・ノーラン。敗者復活戦を導入。
第1回1915年
(大正4)
京都二中(京都)大阪府の豊中球場で全国中等学校優勝野球大会として開催。全国10代表が出場した。広島中・中村が大会初本塁打。